好きな人が増えるということ

前回は始まりが『中居くんに、夢中だ』から始まり、終わりは『吾郎ちゃんに堕ちると思ってなかった』という最初と最後が繋がらない感じのまま、話を止めたままだった。吾郎ちゃんに堕ちるストーリーについてはこの記事で完結させたいな。
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2014年11月。Mr.S福岡公演。この時は完全に、慎吾担として生きました。正しく慎吾くんに堕ちて、帰りました。この時も吾郎ちゃんのことは普通に楽しみにして行ったし、それなりに満足していました。

変化が起きたのは年が明けて、2015年1月。Mr.S名古屋公演。この時は生まれて初めて、運よく2日入ることができました。ありがたや〜。
1日目。会場に向かう途中に、事件は起きた。スマ友ちゃんとの会話。『今回のコンサート、吾郎ちゃんがかっこいい!』どちらが言ったかは覚えてないけど、どちらか片方が言うと、もう片方が『わかる!私も!!』と意気投合。仲間をみつけるってこんなにも楽しいんですね〜。
もしあの時、『へぇ〜そうなんだ。』と普通のテンションで返されていたら、こんな風にはなってなかったと思う。そこからは吾郎ちゃんトークに華が咲きまくり。むしろゴロチと呼んでいました。完全に新しい楽しみを得た乙女でした。吾郎ちゃんグッズを買い足さなければ!2人で、初めてスマコンに来た女子かっていう勢いでグッズ売り場へ向かいました。吾郎ちゃんうちわを手にし、大満足で会場入り。もう楽しくて楽しくて、仕方なかった。『ごろーちゃーーん!!』かつて、こんなに吾郎ちゃんのことを呼んだことがあったでしょうか。腹の底から声を出しました。本来の自担確認しつつの、『吾郎ちゃんはどこ?』。いろんな所を見ないといけなかったので、とても忙しかった。何かあれば、『吾郎ちゃんヤバイ、かっこいい!!』と騒ぎ。吾郎ちゃんソロはキャー!!物で。恋してましたね、完全に。

終演後はずーっと吾郎ちゃんの話しながら、飲んだ。今までの自分達は何で吾郎ちゃんの魅力に気づかなかったのかと。ホテルに戻ってからは、うちわやフォトセットと共に記念撮影。先に旦那さんとホテルに帰っていたもう1人のスマ友ちゃんに、『私達の頭の中はゴロチでいっぱいです。あなたの頭の中はどう??』というメッセージと共に、その自分達の写真を送り付けるという、今、考えると迷惑なこともしました(笑)でもあの時はsaikouに楽しかったぜ!!
名古屋2日目も吾郎ちゃんうちわと共に、大フィーバーで楽しみました。1/10は吾郎ちゃんの魅力に気づいた自分を認めた、ゴロチ記念日☆☆

最近

中居くんブームがきてる。中居くんが出るテレビがある日は、とても楽しみだし、ない日は録画してあるものを見るし、毎日がなんかハッピー♪そんな話を友達にしていると、『誰担当だったっけ?』と聞かれる。SMAP内だけど、完全なる浮気だ。中居くんに限らず、ここ1年余りは浮気が続いている。

もともと私は慎吾担である。だが、2014年秋、浮気の予兆が訪れた。それはMr.Sが原因だ。まず初めてを『Mr.S -SAITEI DE SAIKOU NO OTOKO-』を聴いた時、あるパートで『あら?』と思ってしまった。

♪〜サヨナラも上手なんて ちょっとデキすぎなんじゃないの〜

そう、吾郎ちゃんパートだ。おしゃれな感じで、セクシーさを感じ、このパート好きだな〜って思った。この歌を聴く時は、いつもこのパートをワクワクしながら聴いていた。そしてMr.S大阪。歌う吾郎ちゃんをとても楽しみにしていて、実際に観ると『いいね〜』と思っていた。まだまだ浮気程ではなかった。この後、吾郎ちゃんがとっても気になる存在になるなんて、この時はまだ思ってもなかった。

いつが始まりか。

長い間、放置していた。それも1年!3日坊主、飽きやすい私ならではだなと思う。さて、SMAPについてまたまた語りたくなった。きっかけは母からのこんな質問。『ファン歴何年?いつからファンなん?』

…『〇年だよ!』って即答できなかった。あれ?いつからファンなんだろう?いつも、お茶の間にSMAPな環境だったので、好き始まりのタイミングがわからない。何を始まりとするのか。テレビで気になった時から?ライブに行くようになった時から?

母『ライブは中3の時から?そこからなら13年だね。』まてよ、その前から彼らを見て、ワクワクしてたぞ。ライブに行くだけがファンじゃない。お茶の間で楽しませてもらってワクワクすることも、心はファンだよね。ってことはそれより前か。

サタスマ全盛期、毎週観てた。それももうファンだっただろうな。楽しんでいたもの。ボク生きを観てたこともすごく覚えている。ボク生きを見ていた時の感情とサタスマを見ていた時の感情はなんとなく違う。サタスマの時の方が熱量が多かったと思う。ボク生きの時は、生田斗真も出ていた。そちらにキュンとしていたような感情がある。サタスマは完全に2人を観ていた。じゃあこの辺りからだろうか。一般視聴者から、好きな人を見る目に変わったのは。

サタスマも二段階ある。☆あり時代となし時代。☆なし時代の内容を見ると、ボク生きⅡと少年頭脳カトリとある。もちろん見てたが、それよりも☆あり時代の内容の方が『あ〜あったね!!』とうなずける物が多い。おそらくこの辺りからか。ファンになったのは。ってことは1999年辺りからが、ファンスタートという結論に達した。ということはファンとしては17年くらいということだな。

わたしとSMAP〜開花〜

前の記事から2ヶ月も経っている。でも記録として残しておきたいので、ブログやめません!

前回はスパモダに行ったところまでの歴史を振り返りました。今思うと、あの時はまだまだ生ぬるかったなーって思う。ライブはもちろん楽しかったけど、友だちが『まだまだ行きたい!』っていうのを『私はいいや、お金かかるし。』って思ってたし、お祭り騒ぎするのをなんとなく恥ずかしく感じていたからだ。あの頃はまだ学生で、ヲタクするお金がないってのもあったんだろうけど。

2010年、ウィアスマ。就職試験が近づいていた私は、スマ友ちゃんの誘いを断り、お留守番した←今だったら、『行っておけ!』と言いたい。
でも、グッズは頼んだ。スマ友ちゃんがプラスでくれたクリアファイルはお気に入りで、学校でも使った。行ってないけど、その現実を後悔はしてなかった。

大学を卒業し、無事に社会人になれた。自分で稼ぐようになったのに、コンサートがない年で残念と思っていた。小さな会場をまわり、ファンとふれあってくれていたが、私の地元には来ず。しょうがないと思っていたが、なんと、20周年のイベントが東京ドームで行われることに!イチカバチかで応募してみると、なんと当選!が、今でも思い出したくない出来事が…

前日に猛烈な吐き気(OдO`)体調不良に襲われ、あえなく欠席することに…(TДT)心優しいスマ友ちゃんがイベントの様子を教えてくれたり、グッズを買ってきてくれた(><)この時に学んだ。コンサート前は細心の注意を払って体調を整える大切さを…!過ちは繰り返したくありません。

そんなショッキングな出来事があった翌年、就職して初めてのコンサートイヤー☆☆学生の時と違い、自由に楽しみました。お祭り騒ぎするのは恥ずかしい?そんな気持ちはどこへ?スマ友ちゃんとお揃いの物つけたり、初めてうちわ作ったり。現実逃避したという方が正しいのでしょうか(笑)複数回、参加するのも初めてだったし、オーラスも初めて行った。

オーラスの日、別のコンサートに参加する先輩に『コンサート行くから休み代わってくれない?』と言われたが、代わらなかった。『私もコンサートなんで』とは言えない立場だったけど、なんとか理由つけて断った。悪いとは思ったが、絶対に譲れなかった。スマヲタの執念!このことについては詫びないといけないのだろうが、未だに打ち明けれていない…!こんな感じだったから、この頃におそらくヲタクスイッチが入ったんだと思う。

2014年、Mr.Sも最高に楽しかった!!五大ドームも制覇。就職してからは、SMAPとは『現実を忘れさせてくれるもの』になったんだと思う。どんなに仕事がしんどくても、コンサートに行くと、『乗り越えたから今この瞬間がある!』とパワーを毎回もらえるのだ。私にとってSMAPとはそんな存在である。

わたしとSMAP〜距離ができたり、縮まったり〜

2003年、MIJでSMAPライブ初参戦した私。
アイドルの輝きを目の前にし、衝撃を受ける。
それはそれは楽しいライブで、ペンライトと慎吾うちわを手に楽しむ。ペンライトとうちわでリズムをとって楽しんだため、慎吾うちわの裏はボコボコ(笑)(今は絶対そんな扱いをしない)『もーSMAP最高!』また地元でライブして!!来年もあったら絶対行く!!と宣言し、ファンクラブにも入る。

2004年。ライブを楽しみにしていたら、なかった…(゚ロ゚)番協に行く、とか会える方法はあっただろうけども、所詮、地方住みの中学生。お茶の間で楽しむしか方法はなかった。

2005年、2006年とライブがあった。しかし、地元開催はなし(><)MIJに行った仲間たちと『今年は来てくれるかね!?』とワクワクしていたが、その夢は叶わず。いとこが関東住みのため、『もしかしたら行けるかも!』と淡い夢を描き、計画もしてみたが、単身で乗りこんで、いとこ家族を巻き込むようなプランだったので、母にとめられてしまい、夢叶わず…。

SMAPに会えない日々は、浮気の道へと誘う。ジャニーズはもともと好きだったので、後輩グループの音楽を聴いたり、TVみたり、茶の間ファンを楽しむ。そして、その他にもアカペラにハマったり、バンドミュージックにハマったり、などジャニーズ以外の分野にどっぷりハマる。SMAPは嫌いになったわけではなかった。ちょっと距離ができていただけ。TVも見ていたし、音楽も聴いていた。

SMAPとの距離が再び縮まるのは2008年のことだった。

大学に入学し、現在も仲良くしてるスマヲタ友達との出会い。そして2008年のスパモダツアー。『大学生』という今までとは違う学生になったというのが、SMAPとの距離を縮めた後押しになっていると思う。ツアーやりますって情報が出た時、『今回は行ける!』と思った。初遠征。学校をサボって、東京に行った。大学生ならではの行動。しかも初アリーナ!後ろ振り返ったら花道というすごい席だった。もう、これはスイッチ入るしかないでしょう。目をキラキラ輝かせながら帰ってきた。完全に今までとは違うスイッチが入ってしまった。あの頃は自由だったなー(笑)

わたしとSMAP〜めざめ〜

以前は私とSMAPの出会いを書いた。『SMAPの中だったら中居くんかな』と言い始めた小学生の続き。

『中居くんがいいかも』と言っていた私は、小学校中学年になり、ジャニーズJr黄金世代に出会ってしまう。これもきっかけは母だった。8時だJを茶の間に流していたのだ。私の目は生田斗真に釘付けになってしまった。それからジャニーズが気になるようになり、キンキ、V6、TOKIOに目が向き始める。お気に入りはV6だった。この頃は完全にSMAPは、『お母さんが好きなもの』。私はこっちというような感じだった。

が、SMAPに興味を戻す番組がやってくる。サタスマだ。ボク生き&少年頭脳カトリからの慎吾ママや赤ちゃん預かります。こちらも茶の間に流れ始めたため、ハマってしまった。親しみやすいサタスマコンビに、完全に親しんでしまった。見れない日は録画して見た。この頃はSMAPに興味、というよりはサタスマに興味をもつ。中居くんが、と言っていた少女は、慎吾くんの親しみやすい人柄、笑顔にも気づき始めてしまった。 『あれ、気になるかもしれん。』だが、この頃の私は気になる気持ちに素直になれずにいた。お母さんのものに手を出してしまったような気持ちがしていたからだと思う。

気になる気持ちに蓋をかぶせつつ、中学生になる。そしてとうとうSMAP大フィーバーの時代がやってくるのである。周りに『SMAPかっこいい』という人が増えていた。SMAPが身近な所にあったり、ジャニーズが好きだと思っていた私は、友だちのSMAP話に難なくついていった。2002年、転機その1が訪れる。それまでオリジナルアルバムを買っていなかった母が、ドリスマを買ったのだ。

ドリスマはリビングで流れるようになった。そして友だちのSMAPフィーバーっぷり。とうとう自分の意思で『聴きたい』と思ってしまったのだ。『かっこいい。』特に慎吾くんソロが気に入ってしまった。こっそり借りて聴く日々。SMAPを好きかもという気持ちは日に日に大きくなる。けれど、母には胸を張って、SMAPが好きかも!と言えない日々。そして月日は流れて2003年。転機その2が訪れる。これは大転機。

2002年、地元にライブに来てくれたSMAP。なんと、2003年もライブをしに来てくれるというのだ。こりゃあ、大変!友だちと『行きたい!』という話になり、会場の近所に住む友達に、ご近所チケットで一緒に取ってもらった。ウハウハな私達。SMAPが好きという思いは爆発した。家族に話すのをはずかしがっていた私はどこへ行ったのか。慎吾くんのグッズを買うんだと宣言し、ライブを心待ちにした。こうして、『SMAPが好き』と素直に話すようになったのだった。

わたしとSMAP〜はじまり〜

わたしとSMAPの出会い。それを作ったのは間違いなく母だ。

母によると、子育て真っ最中の中、SMAPがデビューしてきて、『この子達、デビューするんだ〜』と思ったのを覚えているらしい。
そしてスマスマ開始の頃、『あっ、あの子達だー』と思ったらしい。
母の話によると、SMAPデビューからスマスマ開始まですぐに話が飛ぶが、実際は、デビュー→1991年、スマスマ開始→1995年。子育て中の母には、約4年という年月はあっというまだったのだろう。(必死で育ててくれてありがとう。)

スマスマ開始を『あっ、あの子達だー』と見届けた母は、それからスマスマを見るようになった。ちょうどその頃はわたしも幼児になる頃で、乳児の時よりは少し手がかからなくなっていたのだろう。バラエティに体当たりで挑んでいるSMAPはとてもインパクトがあったらしい。

私や妹が月曜10時に寝ぼけて起きてきても、『布団こっちに持ってきなさい!』と言って、テレビの前から動かなかったらしい(笑)それだけハマっていたそうだ。

物心つくようになった時、SMAPという存在は我が家の茶の間に存在していた。TVやラジオで喜ぶ母。そんな母に『SMAP出てるよ!』と知らせる父。私も『SMAPが出たら、お母さんに教えてあげるもの』と思っていた。この時はまだSMAPは『お母さんの物』という認識だった。

私が小学生になって、初めて担当というか気になる存在ができる。それは中居くんだ。友だちと『SMAPだったら誰が好きー?』という話をしながら下校してた記憶がある。でもなんで中居くんが好きだったかは覚えていない(;・∀・)・・ちょうどボク生き(懐かしい…!)が放送されている頃だったので、よく目にしていたからだろうか。中居くんの司会っぷりに心を奪われていたのかもしれない。この頃はSMAPと自分の距離が少し縮まった頃だったのかもしれない。

ここまでの話は、私がスマヲタになる何年も前の話である。この時、誰が私がスマヲタになることを予想できたであろうか。きっと誰にもできなかっただろう。私自身も予想できなかった。